2011年12月19日(月) 15時00分~16時00分の予定

川東大了 奈良裁判 第2回目(準備書面付き)

平成23年(ワ)第686号 慰謝料請求事件
原告 水平社博物館
被告 川東大了

【日時】
平成23年12月19日15:00~

【場所】
奈良地方裁判所

【内容】
良く分りませんが(笑)、どうやら私の準備書面(1)を提出しますので、その準備書面の内容について、相手が何か質問してくるのかな?
具体的に何をするとか、事前に説明を受けていないので、全くわかりません。
時間も2~3分で終るのか、1時間位かかるのかも、何もわかりません。

【注意】
この前の話では、相手の弁護士が「次も沢山の傍聴希望者がいるので、この部屋を使いたい」と言ってましたので、多分、沢山の傍聴希望者がやって来ると思われます。
なので、わざわざ、奈良まで来て、抽選に外れたら時間も金も勿体無いので、来ないほうが良いと思います。

【おまけ】
少し、落ち着いたら、この裁判の途中報告を何らかの形でしたいと考えています。

【更におまけ】
傍聴に、戸田大先生が来られるようです。

【投稿者】
川東大了

【準備書面(1)】
第1 請求の趣旨に対する答弁
1.原告の請求を棄却する
2.訴訟費用は原告の負担とする
との判決を求める。

第2 請求の原因に対する答弁
1.当事者
(1)不知である。
「水平社博物館においては、部落問題、水平社運動等に関する常設展示をすると共に、テーマを設定して特別展示・企画展等を開催している。」の部分については認める。
(2)関西支部長の肩書きとなっているが、平成22年4月頃までの肩書きであり、平成23年1月5日、同年1月22日の時点ならびに現在においては関西地区担当副会長兼大阪支部長である。
在特会の会員および執行役員であるのは事実であるが、今回の「本件不法行為」とされる行為に関しては、在特会は無関係である。しかしながら訴状にて「被告川東大了について」の項目で在特会の説明が書かれているので、私からも在特会の説明をする。
特別永住資格の廃止を主唱している団体で間違いないが、この特別永住資格とは、憲法第14条「法の下の平等」に反する法律「入管特例法」(正式名称「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」)に基づき特定の民族に限定して特別永住資格なる在留資格を与えるもので、主に朝鮮人・台湾人(旧日本領土出身者)が対象となっている。
在特会は「法の下の平等」の実現の為、そして、不当な差別を強いる「入管特例法」の廃止の為に活動する市民団体であり、差別の無い社会を目指している市民団体である。
日本国における在日韓国・朝鮮人への不当な民族差別の撤廃の為に活動しており、その目的の実現の為に、誤った歴史の流布を糾す行動等も行っている。
街頭宣伝や抗議行動をホームページ上で予告して等の説明は認める。
一部マスコミから「ネット右翼」と呼ばれることもある。については不知。
逮捕、勾留され、京都地方裁判所で判決を言い渡されたのは認めるが、その経緯について若干の説明をさせていただくと、京都朝鮮第一初級学校での事件は、そもそも、同校が50年以上の永きに亘り、道路を挟んだ向かいにある勧進橋児童公園を不法占拠し、同校のグラウンドとして使用していて(乙第1号証)、朝礼台、サッカーゴール、100ボルト電源のスピーカー設備等を不法に設置していた都市公園法違反が原因でした。
その事件で、京都朝鮮第一初級学校の前校長は都市公園法違反で略式起訴されて平成22年9月9日に京都簡易裁判所より罰金10万円の略式命令が出されています。(乙第2号証)
そして、その不法占有の為に近隣住民から「日本人の子供が遊べない」等の苦情が寄せられ、私達が現地調査を行った所、上記の犯行形態を確認した為、是正に取り組んだのが経緯です。
朝鮮総連京都本部にて、上記の犯罪行為に対して、相当期間の猶予を与えた上で是正するように申入れを行いましたが、聞き入れてもらえなかった経緯もあります。
具体的に説明しますと、平成21年11月21日に朝鮮総連京都本部にて「今月中に撤去するように」と申入れを行い、私たちが抗議活動を行ったのは同年12月4日です。
その際には、京都市の緑地管理課から、同公園での集会の使用許可を受けており、私たちが集会を開こうと同公園に集まった所、危険な設置物を発見し、集会の参加者の安全確保の為に緊急避難的に危険物の除去を迫られたのであります。更には私の本業は電気工事業ですが、いつ漏電事故が起きてもおかしくない危険な違法配線による100ボルト電源のスピーカー設備を発見し、このまま放置しておけば、同校の児童も含めて死傷者が出てしまうと判断し、緊急事務管理として、その危険なスピーカー設備の撤去を行ったものであります。
具体的に説明しますと、内線規定で定められた「接地をとる」「電線を支持する」「電線を保護菅に入れる」と言った事が守られておらず、その他にも漏電の際に事故を防ぐ為の漏電ブレーカー等も設けられていたのか分らない状態であったのです。
次に徳島県教職員組合事務所での威力業務妨害罪の事件についても説明をさせていただくと、平成22年3月18日の参議院で自民党の義家弘介議員が、「日教組があしなが育英会に寄附するという名目で、『子ども救援カンパ』(乙第3号証)を行ったが、それで集まった1億7624万2418円の内、あしなが育英会には7196万6322円しか寄附せず、残り約6割の1億427万6096円を上部団体である日本労働組合総連合会に寄附している。」とする質問をし、翌3月19日に産経新聞が記事にしました。
その記事によると、日本労働組合総連合会は日本教職員組合傘下の地方19教職員組合の申請に基づき、30事業に計3750万円を助成した。そして、その地方19教職員組合の1つである徳島県教職員組合は、四国朝鮮初中学校への就労支援金として150万円を受け取った。との事でありました。
平成22年3月17日に最高裁判所第2小法廷において「偽の街頭募金活動で、個々の被害者や被害額が特定できなくても詐欺罪が成立するかどうか」が争われた刑事裁判の上告審決定で、「募金に応じた多数の人を『被害者』とし、募金の時期や場所、被害総額を示せば成立する」との初判断が示されました。それによって、この「子ども救援カンパ」が募金詐欺である事が判明したので、この募金詐欺を糾弾する為に抗議活動を行ったのが経緯です。
平成22年4月14日午後1時15分頃から約13分間にわたり、徳島県教職員組合の事務所を喧噪状態に陥れたとされております。
ですが、部落解放同盟奈良県連合会が平成18年12月27日に出した「部落解放同盟古市支部元支部長(元奈良市協副議長、元県連統制委員)中川氏(通称・吉田)問題についての最終見解<再生への決意>」と題した見解(乙第4号証)を引用しますと、「セクション別交渉においては時として大きな声も出たでしょうし、野次が飛んだこともあったでしょう。しかし、大きな声や野次は労働組合との団体交渉や市民運動との交渉にあっても、ごくありふれた光景であったはずです。もちろん、わが県連や市協にも改めるべき点はあるはずですが、それを考慮してなお解せないものがあるように思えてなりません。一体何故、市の方針がねじ曲げられるに至ったのか、市長にはこの点に係る説明責任が何としてもあるようです。」とされており、労働組合や市民運動では交渉の時に大きな声が出たり野次が飛ぶ事は、ごくありふれた光景のようです。
私達は、自分達の利益要求などは一切行っておらず、募金詐欺と言う犯罪行為の糾弾の為に、ごくありふれた光景とされる大きな声や野次をあげました。そして、その時間は約13分間でした。
責任を逃れたい意図は全くありませんが、私自身は大きな声も野次も発しておりません。
2.本件不法行為(名誉毀損行為)について
(1)企画展示をなした。については認める。
その趣旨については、不知である。
(2)日付は間違いないですが、時間については不知。ただ、著しく事実に反する事はないと思います。
抗議したとありますが、私は「ミンピの殺害についての記述についてですが、確かに日本が殺害したとする説はあるものの、歴史資料等によって証明されておらず、今では少数意見の一つとされており、それを事実かの如く記述するのは問題があると思います。少数派の見解である以上、それを紹介するのなら、多数派の意見との並列表記にするべきだ」との趣旨で申入れを行っただけです。
その際、私は「誤り」だと断言はしておりません。
しかしながら、ミンピの殺害に関しては、当時の李氏朝鮮において犯人が捕まって処刑されており、その犯人は朝鮮人でした。
少なくとも、当時の李氏朝鮮での司法の判断とは異なる歴史見解であり、ミンピの殺害が日本によるものだと記述するなら、それが正しい事を証明して頂きたい。
退館を求められたのは認める、しかし、私は入館料の¥500を支払っており、遠方からガソリン代を払って、時間も費やして水平社博物館まで行っており、お客様として水平社博物館の展示物を見る事に問題はないと思います。
むしろ、入場料を徴収しておきながら、退館を求める行為こそ、人権侵害行為だと思います。
私も李氏朝鮮などについて、歴史の勉強をしているのですが、貴重な当時の資料などを見る機会は滅多に無いので、非常に楽しみにして見学に訪れました。
実際に当時の資料等を見学出来て、大変、勉強になりました。
駆けつけた警察官による話は、不知。
(3)甲第3号証として「記」と書かれた後の私の街宣内容の文字おこし部分については若干の些細な間違いはあるが、概ね間違っていないと認める。しかし、原告の名誉を侵害する演説をなした。というのは否定します。
「穢多」「非人」なる文言は歴史上の身分制度として存在した階級を指すものであり、水平社博物館の中でも「穢多」「非人」なる文言は使用されております。
実際に1月22日の時点で私は水平社博物館の事について、詳しい知識は持っていなかったので、「よく解らんこの博物館」と言いました。
「強制連行された女性の中には・・・」から「人権侵害なんですよこれ」の部分について、私が発言したのは認めるが、職業に貴賎はなく、性風俗産業への偏見に満ちた職業差別を糾弾する為に、そして、水平社博物館による職業差別を止めさせる為に言いました。
「この水平社博物館、ドエッタどもは・・・」から「聖地らしいですね」の部分についても上記と同様に、性風俗産業という職業を蔑む差別行為を糾す為に発言しました。
「聖地らしいですね」については、発言は認めるが、その事を聞いた経緯について立証は出来ませんので、説明はしません。
「エッタやら非人やら言うたら・・・」から「マネさらしやがって」の部分についても自分の思った事を発言したものであります。
具体例を挙げると、コカ・コーラウエスト社の関係者が「西成や部落では自販機が壊される事が多い」なる発言をした事を理由に、糾弾会を開催している事が解放新聞に掲載されていました。(乙第5号証)私が大阪府警察本部にて犯罪統計資料(平成22・21年度)を閲覧した所、西成は「自販機狙い」の認知件数が非常に多い地域である事が分りました。(乙第6号証)
部落地域に限定した調査は出来ませんでしたが、少なくとも相当程度の真実を含む発言を「差別発言」として糾弾会を開催して差別認定するなどの行為をしています。
この事件について見ると、解放新聞の紙面では八尾土木事務所職員Dが差別発言をしたという誤報を訂正していますが(乙第7号証)、インターネット上の「NEWS&主張」では訂正されないまま、未だに八尾土木事務所職員Dが差別発言を行い、その差別発言を謝罪したと配信され続けています。
このように、差別かどうか疑わしい、或いは明らかに差別とは言えないような事を無理やり差別であるとして、差別の冤罪を生み出し、或いは、その差別でっちあげを元に半ば強制的に謝罪や賠償をさせたり、またある時は、その精神的苦痛から、自殺にまで追い込むような許しがたい人権侵害まで犯しております。
このような、善良な市民を差別主義者にしたてあげて糾弾したり、死に追いやったりして、表現の自由を萎縮させかねない行為に対して「舐めたマネ」と表現しました。
又、この糾弾会についてインターネットにて調べた所、「日本共産党を中心に、確認・糾弾は解放同盟が恣意的に検事と判事の役割を務める『弁護士なき人民裁判』に等しいものであり、手続上きわめて大きな問題を孕んでいる」という意見を知り、矢田事件などといった凶悪な犯罪まで起こしている事を知りました。(乙第8号証)
「ここでそういうことやったら・・・」から「考えてこなかったんですけど」の部分については、発言は認めるが、その事を聞いた経緯について立証は出来ませんので、説明はしません。
「いい加減出てきたらどうだ・・・」から「お前ら人間なのかほんとうに」の部分については、発言は認める。しかしながら、明治になり身分制度が廃止されたので、現在では穢多・非人なる身分の人間はいないと認識しておりますので、穢多・非人がいると思っていた訳ではありません。
しかしながら、水平社博物館にて「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。」の文言を見ておりましたので、このように自ら「エタ」を自称する人間がいるのではないかと思っておりましたので、この自称エタ・自称非人なる人間が出てくるかもとは思っておりました。結論から言いますと誰も出てこなかったので、私は「やっぱり、穢多・非人はいないのだな」と思いました。
仮に「俺はエッタだ」「俺は非人だ」「出て来い、って言うから出てきてやったぞ」と誰かが現れたら「エタやから言うて、偉そうにするなよ、エタじゃない人間を差別するな」と言ってやるつもりでいました。
「エッタとは穢れが多いと・・・」から「いつでも来い」の部分については、発言は認める。ですが、先ほどと同じく、既に穢多なる身分の人間はいないと認識しております。
ですが、自称穢多が出てくるかもと思って、発言しました。
3.被告の発言の不法行為性、名誉侵害性について
(1)不知である。
仮定の部分「穢多身分、非人身分については、封建制の確立と共に日本社会において固定されたとされているが、穢多身分については更に古く、戦国時代以前からの仏教思想に基づく、穢れ意識等と不可分に形成されたものであるとの見解もある。」は、そうかもしれない。位にしか返答出来ません。
ここで「差別」なる文言を使用しているが、差別と区別では全く異なってくると思われます。
例えば、大衆浴場で男女を別々に入浴させるのは、公序良俗の観点からみて当然であり、これは差別には当たらず、区別に当たると私は考えます。
最近では女性専用車両と呼ばれる電車が登場し、これが「差別」ではないのか?との意見が多々聞かれている現状もあります。
50年や100年の年月の後に、電車も現在の大衆浴場と同じように、男女を別々に乗車させるのが、当然の時代が来るかもしれませんし、逆に、男女の性別によって、乗車の際に制限を設ける事が「差別」であると批判される時代が来るかもしれません。
「差別」や「区別」とは、その定義をハッキリとさせないと、同じ事象を捉えても、ある人は「差別」であると主張し、又、ある人は「区別」であると主張し、統一的な見解が出ない事が非常に多くあります。
又、時には地域によっても差異があるでしょうし、時代によっても差異があるでしょう。
結婚差別、就職差別があると書かれていますが、一体、「差別」なる定義をどのように設定して「差別」としているのか、それを提示してもらわないと、本当に結婚差別、就職差別なのか判断出来ません。
過去に起こした「確認・糾弾会」のような凶悪犯罪に手を染めた勢力・組織と聞けば、それを怖がって避けようとするのも当然であると思います。
何気ない会話に対して、突然、「俺は部落解放同盟の人間であるが、今の発言は差別発言だ、君に対して糾弾闘争を展開する。」とか言うようなトラブルが起きるかもしれないと用心するのも当然かと思います。
更には、近年、組織暴力団を排除する動きが強くなっており、警察や自治体などが連携しておりますが、元公安調査庁の菅沼光弘氏は平成18年10月19日に行われた外国特派員協会における講演で「8~9万人いる暴力団構成員の内、6割が同和(被差別部落)である。」との見解を示しております。(乙第9号証)
現在、組織暴力団は日本社会全体が一致団結して排除していこうとしている極めて反社会性の高い組織・団体であります。
このような背景を鑑みた時、結婚や就職の際に用心される事があったとして、一方的に「それは差別だ」とするのは公正ではないと思います。
原告が主張するところの差別が起きているとして、その原因が何か?と言うのが重要だと私は思います。
(2)不知である。
私の知識になるが、「穢多」は、源頼朝公以来得ていた治安維持の役回りと、それらの見返りの利権を家康公が江戸入国の際これを願い出て許可を得たと「弾左衛門由緒書」に書かれている。
治安維持の為の、現代で言う所の警察官・軍隊に近い存在・役職であり、「諏訪御用之節奉御忠勤尽身分」として一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すると言う、素晴らしく羨ましい身分である。
私も愛国者を自負しており、お国の為に身命を惜しまず、有事の際には自らの命を犠牲してでも国家のお役に立てたら、どれだけ素晴らしい事かと夢見ています。
私にとって、穢多とは憧れるような存在であります。
又、日本の統一を果たした豊臣秀吉公も穢多であり、天皇陛下と言う現人神は別にして、人間として昇り詰める事の出来る、おそらく最高位にまで付いた歴史事実もある。
穢多と呼ばれた身分の人間も沢山いれば、富める人もいれば、貧しい人もいるのは当然である。
だが、この穢多と呼ばれた人々のものづくりの歴史こそが、今の日本の様々な加工技術の礎となっている。
江戸時代には、斃牛馬(「屠殺」は禁止されていた)の処理と獣皮の加工やまた革製品の製造販売などの皮革関係の仕事(これらは武士の直属職人という位置づけもあった)、刑吏・捕吏・番太・山番・水番などの下級官僚的な仕事、祭礼などでの「清め」役や各種芸能ものの支配(芸人・芸能人を含む)、草履・雪駄作りとその販売、灯心などの製造販売、筬(高度な専門的技術を要する織機の部品)の製造販売・竹細工の製造販売など、多様な職業を家業として独占していた。(乙第10号証)
資源に恵まれない日本国が、経済大国として成り立っている根底を支えている現在の非常に高い水準の様々な技術が、穢多と呼ばれた人々の存在によるものであり、正に日本人が感謝し、そして、誇りうる存在である。
私は日本人である事に誇りを持っているので、誰かに「日本人の川東さん」と呼ばれても腹が立つ事もないし、まして「差別された」とも思う事もない。
水平社博物館で「穢多である事を誇っている」と取れる文言を見ていましたので、仮に穢多・非人がいたとしても、その穢多・非人である事を誇っているのなら、「穢多」「非人」と呼ばれて怒るのはおかしいと思います。
もしも、「貴方、日本人だよね」と言われた時に、怒って「私を日本人と思うなんて、失礼な」と言う人間がいたら、その人間の中に日本人を蔑む気持ちがあると言う事です。
穢多と呼ばれて怒るのは、穢多に対して蔑む気持ちがあるからではないでしょうか?
私は、自分の出自が穢多なのか、武士なのか、百姓なのか、知りませんが、仮に出自を徹底的に調べ上げた結果、先祖が穢多であったと言う事が判明しても、何も嫌に思いません。
穢多を差別する気持ちがないからです。勿論、だからと言って「俺は穢多だから、偉いんだ」と言う気持ちもありません。
同様に、先祖が武士であったとしても、蔑む事も、誇る事もありません。
先祖の身分に関係なく、自分の先祖を大事に思い、自分の先祖を誇る気持ちはありますが、当時の身分の如何には関係のないものです。
先祖が武士であっても、穢多であっても、武士や穢多と言う身分とは関係なしに、先祖に対する気持ちは変るものではありません。
我々は天皇陛下の下に、一君万民であり、天皇陛下という父親がいて、皇后陛下という母親がいて、そして赤子たる我々臣民は、万民として差がないのである。
故西光万吉は、「一君万民」の思想、そして「天皇の民」の自覚が差別をなくし国民的和合を実現すると言われておりました。
それと、気になったのは、司法も差別行為に荷担した歴史が有るとの部分ですが、そんなのは当たり前ではないでしょうか。
例えば、私が銭湯に行って無理やり「女湯」に入場すれば、おそらくその場で取り押さえられて、警察を呼ばれて逮捕されるでしょう。
私が、「男性が女湯に入れないのは差別だ、だから、私は無罪だ」と主張したとして、そんな主張が通るとは思えません。
裁判で有罪が出たら、それは「司法が差別を合法と認定した」という事になります。
そこで問題になるのは、公序良俗だと思います。
つまり、銭湯で男性と女性と空間を差別してサービスを提供するのは、公序良俗の観点から当然であります。
つまり、「差別」がいけないのではなく、「不当な差別」がいけないのであって、「正当な差別」はむしろ歓迎されるべきだと思います。
そもそも、裁判こそは「正当な差別」をする制度ではないでしょうか。
人殺しには死刑を、泥棒には禁固刑を、当然です。ここで、「犯罪者を差別するな、すべて一律に刑罰を統一しろ」なんて言い出したら、それこそ無茶苦茶です。
訴状8ページの23行目の「穢多、非人等の蔑称をもって」とありますが、これこそが穢多、非人に対する差別の現れです。
何故、一旦緩急あれば、義勇公に奉じる身分が蔑称なのか、何故、天下人となった豊臣秀吉公の身分が蔑称なのか、何故、日本人が誇り感謝している、ものづくりの礎となった身分が蔑称なのか、全く理解出来ません。
これがまかり通れば「おまわりさん」「兵隊さん」「大統領」「国王」も蔑称になります。
「これを聞く周囲の人間が差別感情を惹起する、拡大する」「差別者に同調する心情を形成する」とありますが、少なくとも私の人生で、そんな場面に出くわした事はありません。むしろ、「不当な差別をする可哀相な人」と哀れむのが普通で、「同じように差別してやろう」なんて考える人はいません。
(3)認めない、反論する。
原告の説明が記載されていますが、「人権思想の普及と啓発に資する活動を目的とする財団法人である」の部分に対して、言いたい事があります。
特別企画展「コリアと日本」での展示内容に、歴史事実に反する内容がありました。
差別を無くす為には、正しい知識・認識が必要だと思います。
水平社博物館では、歴史捏造をする事が「人権思想の普及と啓発に資する活動」と言われるのでしょうか?
でないのなら、特別企画展「コリアと日本」の展示内容について、こちらの反論・指摘に答えて頂きたいと思います。
私は、在日韓国・朝鮮人に対する不当な差別を無くす為、差別のない社会を実現する為に、正しい歴史認識が必要だと考えており、水平社博物館の特別企画展「コリアと日本」での歴史事実に反する説明によって、差別が惹起され、拡大すると危惧しております。
又、ここで「日本国憲法が唱える基本的人権思想」なる文言を記載していますので、この部分に対しても言いたい事があります。
日本国憲法第1章第1条の「天皇」についてです。
部落解放同盟では、天皇陛下の存在が「身分意識の強化につながる」として天皇制に反対しております。(本来は天皇陛下の存在は制度ではないので「天皇制」なるものは存在しないのですが、部落解放同盟の綱領に書かれていたので、そのまま引用します。)
日本国憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と明記されている天皇陛下の存在を否定する行為は、日本国民の全員を深く傷つける行為であります。
このように、何の罪もない善良な日本国の市民の人々を、深く傷つけるような行為が、一体何故、「日本国憲法が唱える基本的人権思想を普及し、啓発してきた」事になるのでしょうか。
少なくとも、日本国籍を有するものが、「天皇は、日本国の象徴である」ことに同意しないのであれば、それは憲法違反であります。
ですが、日本は自由の国であります。
天皇は日本国の象徴である事に同意したくない人間の為に、日本国憲法第22条があります。「国籍を離脱する自由を侵されない」と明記されております。
まず、日本国憲法第1条に同意したくないなら、日本国憲法第22条の国籍離脱の権利を行使して、日本国籍を離脱してから「天皇」に反対するべきではないでしょうか。
「穢多(エッタ)博物館、非人博物館と蔑称を」と記載されていますが、「穢多」「非人」が蔑称と勝手に決めてつけて、差別事件と断定していますが、「穢多」「非人」は蔑称ではありません。
「穢多」「非人」が蔑称と主張する事こそ、穢多・非人に対する差別である。
それと、挑発的言動をする事が差別をする事になるとも思いません。
「これは穢れ多き人々・・・」から「言動をなしたものというべきである。」の部分について述べます。
「これは穢れ多き人々、人間外の人々が邪な目的を持って原告を設立し、原告が邪な社会的運動をなしている、そしてそのような邪な目的の下で『コリアと日本』の企画展示をなした」など、一切主張していません。
「公然と事実を摘示し」の事実の部分が、特別企画展「コリアと日本」での展示内容に誤りや人権侵害がある事を指しているのなら、確かに「公然と事実を摘示」しました。
公然と事実を摘示された結果、原告の名誉が著しく毀損されたとするならば、その原因は、そのような事実を行った原告の責任である。
そもそも、ここの文章を私の国語力で読んだら、原告が自ら「穢れ多き人々、人間外の人々が邪な目的を持って原告を設立し、原告が邪な社会的運動をなしている、そしてそのような邪な目的の下で「コリアと日本」の企画展示をなした」事が事実であると認めているように理解出来るが、それで良いのか?
原告は特別企画展『コリアと日本』を誰が見ても恥ずかしくないとして、堂々と展示していたのではないのですか?
摘示された事実が真実であるか否かに関わらず名誉毀損は成立するが、原告は摘示された事実が真実だと認めて、その上で名誉が毀損されたと主張するのでしょうか。
もしも、摘示した事実が真実であると認められた上で名誉を毀損されたとするなら、私は自分の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった事(と摘示した事実が真実に合致すること)を反論として主張します。
具体例を挙げますと、特別企画展「コリアと日本」の展示内容に「従軍慰安婦」との項目があり、説明文として「強制連行された女性の中には慰安婦=性奴隷として軍隊に従属させられ性的奉仕を強いられた人もいました。慰安所が戦争の拡大により中国大陸からフィリピン・インドネシアなど各地に設置されました。この問題について日本政府は1992年1月『軍の関与があったこと』を認めましたが、国家補償に応じようとはしていません。」と書かれていましたが、この「強制連行」について平成9年3月12日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長は「政府の発見した資料の中には、強制連行を直接示す記述は見当らなかった」と答弁しています。
にも関わらず、原告の特別企画展「コリアと日本」では、さも強制連行された女性がいて、その中には慰安婦=性奴隷として軍隊に従属させられ性的奉仕を強いられた人もいた。と言う説明までしていた訳ですから、これは、我々のご先祖様の名誉を毀損する行為です。
又、最近では大韓民国政府などが中心となって、日本国政府に賠償金を請求しています。
このような状況の中で、このような歴史捏造を行う行為は、日本国政府の対応を誤らせる可能性まであり、この誤った歴史認識を元に賠償金を支払うべきだと考える国会議員が現れてしまうかもしれません。
そうなれば、日本国の国益も損なわれてしまいます。
同時に、日本と大韓民国の友好も損なわれてしまいます。
ついでに付け加えておきますと、この行為は刑法230条の名誉毀損罪に該当するものであります。刑法230条では
1.公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2.死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
とされており、原告の特別企画展「コリアと日本」では虚偽の事実である「強制連行」や「性的奉仕の強要」で先祖の英霊の名誉を毀損している。
原告は私に1000万円を請求しているが、原告は靖国神社の英霊の方々、246万6000余柱に対して名誉毀損を行っている訳であるから、1柱に対して1万円を支払うとして246億6000万円を靖国神社に謝罪の意思として寄附するべきである。
(4)認めない、反論する。
動画を撮影し、それをインターネット上に投稿しているのは事実であるが、そもそも街頭宣伝活動自体が、1人でも多くの人に知ってもらいたい、聞いてもらいたいとの趣旨から行ったものであるので、現地で拡声器の音声を聞いた人間だけでなく、現地にいなかった人間にも聞いてもらいたいという目的の為に、全国、全世界に配信している。
今の所、その配信を止めて欲しいとの要望などは、私の所に来ていません。
付け加えるなら、一度、インターネットに公開した動画を後から削除すると、同じ動画を他人が再度インターネット上に公開して、かえって、その動画が拡散します。
「その発言内容と共に・・・」から「悪質極まりない差別行為というべきである。」の部分については、そのように思わない。
「更に部落解放同盟やその機関紙に・・・」から「挑発活動を公然と繰り返している。」の部分についてですが、一体、いつ私がそのような行動をしたのでしょうか?
証拠等を提示して下さい。
一応、付け加えておきますが、街宣の中で述べた通り、糾弾集会に呼ばれたら堂々と出席するつもりです。自分は何も差別などしていないと説明出来るつもりです。
そして、糾弾集会に出席する事になれば、最低限、こちらの提示する条件として、撮影とその様子を公開する事は要望します。
何故なら、これは公の利益に関わる事だからです。密室で関係者だけが集まって、その内容を非公開にするべきではないからです。
そもそも原告が「その状況も全国に流してやる」等の主張が「悪質な」と認識しているのは、糾弾会が非常にやましい行為で人々に知られたり、見られたりしたら恥ずかしい行為だと思っているからではないか。
もしも、糾弾会を開催する糾弾権なるものがあると信じ、差別の是正の為に必要な正義の行いだと信じるなら、その状況を全国に流されて何も困らないはずだし、まして、全国に流してやる等と言われることが、悪質な挑発活動になるはずもない。
世間の人々に知られたら困るような行為なら、最初からするな。と言いたい。
私は純粋に糾弾会を設けて、そこで様々な意見や見解を出して意見交換を行い、その様子を多くの人々に見て聞いて貰って、それぞれの人間が「差別とは何か」について思慮を深めて欲しいと思っています。
私も一般人ですので、仕事もあります。突然、夜中の2時位に自宅に押しかけられて「今から糾弾会をするから出て来い」と言われたら、出席出来るとは約束出来ませんが、社会通念上の常識の範疇であれば、可能な限り出席するつもりです。又、その際、出席するのに伴って出演料を出せとか言うつもりはありません。
訴状に記載されているような「挑発行為」など、私はした覚えはありません。
(5)不知である。
ただし、共謀の事実は全くない。
4.原告の損害について
(1)不知である。
「原告の名誉ある活動に対して」と記載されているが、私は特別企画展「コリアと日本」について街頭宣伝活動したのであって、それ以外の原告の活動については触れていません。
又、「コリアと日本」の企画展の展示内容に対して、職業差別と受け取れる記述があったり、歴史的事実に反する、もしくは証明されていない説を事実かの如く説明している等の問題を指摘しましたが、このような原告の行為を「名誉ある活動」とは思えません。
もしも、「名誉ある活動」と胸を張るのであれば、私の行った街宣内容での指摘について真摯に応えてもらいたい。
私は「誤った歴史認識の流布によって、差別が惹起され拡大される」と訴えかけているのであるから、「誤った歴史認識」を否定するならば特別企画展での展示内容が正しいとする証明をしていただきたい、又もしも、認めるのであれば、誤った歴史認識の流布に対して訂正・謝罪して頂きたい。
人間には過ちもあります、過ちを犯したら改める事が何より大切です。
是非とも、今回の裁判の原因にもなった特別企画展での展示内容について、水平社博物館の名誉ある対応を期待します。
5.最後に述べておきたいこと
(1)言論活動を行えば、人それぞれ様々な受け止め方をします。1000人の人間が聞いて999人が喜んでも、場合によっては1人の人間を不愉快にさせる事はあるかもしれません。
100万人、200万人に聞いてもらって、ただの1人でも不愉快に思わせたらいけない。なんて事を言ったら何も言えなくなります。
私は、今回の街宣活動を「差別をなくしたい」との一心から行い、今でも「差別のない社会の実現」の為に間違った事はしていないと確信しております。
ですが、少なからずの人間が、私の街宣を誤解し、その誤解によって不愉快や、悲しい思いをされたと言うのであれば、それは私の全く不本意であります。
そういった方々には、申し訳ない気持ちもあります。
最初から、そういった人々を傷つける意図を持っていた訳では決してありませんが、自分の意図する所とは別の所で、私の街宣で傷ついたと言う人に対しては、「決して、私は差別する意図も、差別したいという気持ちもなく、純粋に差別のない社会を目指して、その為に1月22日の街宣は行ったものである。」と説明したいと考えています。
(2)私の考えとして、穢多・非人は現在では1人もいてないと思っています。
何故なら、身分制度が廃止されたからです。
なので、仮に穢多・非人を差別したいと思った人がいても、既に穢多・非人がいない以上、現在においては穢多・非人を差別する事は出来ないと思っています。
もしも、穢多・非人を差別する事が出来ると言うのなら、もしくは、穢多・非人が差別されていると言うのなら、その差別を受けるとされる穢多・非人は何者なのか?
本当に、この日本に穢多・非人が現在も存在するのか、教えて欲しいと思います。
(3)又、穢多・非人なる身分や文言が蔑称と思う人こそが、穢多・非人を蔑んでいるのだとも思います。
私は自分の仕事に誇りを持っていますので、「電気屋」と呼ばれても、それが蔑称と思った事は一度もありません。
もしも、「電気屋」と呼ばれて、差別されたと感じる人間は、電気屋と言う職業が卑しい仕事だと思っている人間だと思います。
私は穢多・非人を蔑む気持ちが毛頭も御座いませんので、必要に応じて「穢多」「非人」の文言は遠慮なく使用します。
少なくとも、水平社博物館でも「穢多」「非人」の文言は使用しているはずです、それどころか水平社博物館では「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。」と言う文章が展示されており、穢多である事を誇るのなら、むしろ穢多と呼ばれて喜ぶべきではないでしょうか?
それと、付け加えるなら「特定の出自である事を誇る」と言う考え方は、部落解放同盟の綱領で言う所の「身分意識の強化につながる」考え方であると思いますが、それが悪い事とは思いません。私も日本が大好きで、日本人である事を誇りに思っています。むしろ自らの身分に誇りを持つべきであると考えます。
日本人という出自に誇りを持って、「私は誇りある日本人である。」と堂々と言える日本人でありたいと常に思っています。
又、天皇陛下の赤子である事にも誇りを持っています。
天皇陛下が親で、その子供が私たち臣民であるのです。
親を誇りに思い、先祖を誇りに思うように、天皇陛下も誇りに思います。
先の大戦において、白人を中心とした列強諸国が有色人種を奴隷支配するのが当然であったいわゆる帝国主義と呼ばれる暗黒の時代に、列強諸国に奴隷支配されていた多くのアジアの国々を解放し、その暗黒の時代を打破し、そして、現在の人種や民族、肌の色、宗教等によって不当に国家が虐げられる事がないような国際社会を築きました。アジアの解放を実現し、そして、現在の世界秩序を構築したこの素晴らしいご先祖様の偉業は、その子孫である我々、日本国民が大いに誇るべき事です。
そして、英霊の方々は天皇陛下の赤子として、皇軍として、大義ある解放戦争を戦い抜き散華されていったのです。
散華された英霊達の偉業は、これは、ひいては天皇陛下の偉業に他なりません。
そして、その天皇陛下が日本国の象徴なのです。
日本人が日本人の身分を誇りに思うのは、当然の事です。
私達は、堂々と日本人であると言う「身分意識」を持つべきであるのです。
この愛国心を持つという当然の考え方を、「軍国主義の到来だ」「先の侵略戦争を美化する」などの世迷言を言って否定しようとする勢力がいますが、悲しい事です。
原告の特別企画展「コリアと日本」での、「従軍慰安婦」の記述などもそれらの悲しい行為のひとつです。
(4)今回の街宣活動では、個人の糾弾や抗議は全く考えておらず、あくまでも、原告である水平社博物館やその原告が行った特別企画展「コリアと日本」の内容に対してである。
又、差別を無くしたいと言う目的から、差別を生み出していると私が考える原因、部落解放同盟を対象としたもので、決して個人に対して行ったものではない。
(5)差別の定義に関しては、政府の閣議決定や公文書等で明文化されたものを見つける事が出来ませんでした。
この差別というのも判断が難しいもので、全く同じ行為が、ある人にとっては「差別だ」と感じて、別の人にとっては「差別じゃない」と感じるという事は多々あります。
それこそ、国によっても、時代によっても、様々な状況によって、全く同じ行為であるにも関わらず、それが「差別」になったり、「差別じゃない」になったりします。
例えば、学校である教室に1人だけ在日韓国人の児童がいたとします。
朝鮮半島では食事の時に茶碗を持つ事を行儀が悪いとするので、茶碗に手を触れずにご飯を食べます。
その事を知っていた先生が、昼食の時に「皆さん、お茶碗を持ってご飯を食べるように、でも、在日韓国人の〇〇ちゃんはお茶碗を持たずに食べるように」と指導したら、これが差別なのか、どうなのか?
ある人は、「差別」だと言うでしょう。
では、その先生が在日韓国人の児童も含めて「お茶碗を持って食べるように」と指導したら、今度は「朝鮮人の児童にお茶碗を持って食事するように指導するなんて、朝鮮人の文化を奪う行為だ」と言い出すかもしれません。
このように、何でもかんでも「それは差別だ」と決め付けてかかれば、簡単に差別行為に出来てしまいますし、場合によっては何をしても「差別だ」とされてしまうような事も起こりえます。
最近では、セクハラの問題でも同様の事が起こっており、何気ない会話でも、突然、「今の発言はセクハラだ」と女性が訴えたら、それがセクハラとして認定されてしまうような事もあるようです。
このように、兎に角、自称被害者が「差別された」と訴えたら、それが差別だ。みたいな理屈がまかり通ったら、もう、怖くて何も言えなくなります。
この国は日本国憲法第21条で言論の自由が保障されております。
もしも、差別の認定にあたり、被差別者の「差別された」の主張だけで差別が成立するようなら、この日本国憲法第21条で保障された権利が侵害されます。
又、被差別者が「差別された」と感じたら、差別だ。みたいな暴論を出してくるなら、こちらも「発言した方が差別だと思ってなかったら、差別じゃないんだ」と同じように主張させてもらいます。
未だに、私も何が差別なのかは、完璧に理解していませんが、少なくとも、差別かどうかの判断に当たっては、「差別」の定義を事前に設定してからでないと、「差別」かどうかの判断は出来ません。
私の行為に対して、「差別だよ」と言うのであれば、その「差別」の定義は一体何なのか説明していただきたい。
(6)原告と解放新聞社と関係があるのか、無いのか。又、関係があったとして、どのような関係なのか分りませんが、私は平成23年6月4日に解放新聞社の大阪支社に解放新聞を購入しに行きました。
その時に「おまえに売る新聞はない」と言われ、新聞を売ってもらえませんでした。
話を聞くと、その理由は「お前が差別をするから、俺は売らへんねん」との事でした。
その理屈だと、「差別する人間相手なら、差別してもよい」と言う事になります。
もしも、原告も「差別する人間なら、差別してもよい」と言う考え方なら、私は言いたい事があります。
それは、特別企画展「コリアと日本」で、我々の英霊を人攫い・強姦魔と説明している事です。
いわゆる「従軍慰安婦」の記述の部分で、私が街宣でも取り上げた部分でありますが、私たちの先祖・英霊の方々に冤罪を着せて、私の心を傷つけ、それを以って私への人権侵害を行ったのですから、先ほどの理屈を認めるのであれば、「人権侵害をする人間なら、その人間の人権侵害をしてもよい」「名誉毀損をする人間なら、その人間の名誉毀損をしてもよい」と言う事になります。
別に私は人権侵害も名誉毀損も行ったつもりはありませんが、解放新聞社・大阪支社の対応が正しいとするなら、原告に対して、「仮に百歩譲って私が差別をしたとしても、先に原告が私へ人権侵害したからだ」と言わせてもらいます。
(7)私は平成23年1月5日に水平社博物館を訪れ、入場料を払って見学したお客さんです。
そのお客さんである私が、展示内容を見て疑問点を持ち、博物館の職員にその疑問点について指摘をしたのです。
原告はお客様である私の指摘を無視しました。
お客様は神様ではないのでしょうか?
少なくとも、お金を徴収している訳ですから、展示内容の誤りを指摘されれば、説明する義務があると思います。
その説明義務も果たさず、私が指摘した事を無視した為に、止むを得ず、街宣を決行せざるを得なくなったのであります。
なので、そもそも街宣の原因を作ったのは原告です。
現在においても、特別企画展での展示内容について、それが正しかったとの証明がなされておりません。
もし、展示内容に誤りがないとお考えでしたら、歴史資料等の根拠を提示されて展示内容に誤りがない事を証明されたら街宣を行う必要はなかったのです。
又、誤りがあったと考えているにも関わらず、それを放置したのであれば、歴史捏造を正す為の街宣は、公の利益に資するもので何ら非難を受けるものではありません。

以上

証拠方法
1 乙第1号証 京都朝鮮第一初級学校創立60周年記念式典の案内         1通
2 乙第2号証 京都朝鮮学校公園占用抗議事件のウィキペディアの説明       1通
3 乙第3号証 子ども救援カンパのウィキペディアの説明             1通
4 乙第4号証 部落解放同盟奈良県連合会による中川昌史問題についての最終見解  1通
5 乙第5号証 NEWS&主張「部落では自販機壊される」とのネット配信記事    1通
6 乙第6号証 犯罪統計資料(平成22年・21年)P44~P45        1通
7 乙第7号証 解放新聞(平成23年6月6日)おわびと訂正のコピー       1通
8 乙第8号証 確認・糾弾のウィキペディアの説明                1通
9 乙第9号証 菅沼光弘のウィキペディアの説明                 1通
10 乙第10号証 穢多のウィキペディアの説明                 1通
以上

登録番号
No.315
日時
12月19日(月) 15:00~16:00
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