まず、去年の8月22日に私が主催してデモをやった。
そのデモの内容は、「竹島」の奪還や「従軍慰安婦」とかの問題に関連して、勇気ある日本人が韓国まで行って、領有権アピールや慰安婦問題での歴史捏造に抗議した事について、その義挙を称えようというものであった。
そして、珍しく(?)デモで使うコール表も事前に公開し(実際にそのコール表を使用)更にはカウンターの勢力に対しても以下のメッセージを伝えていた。
http://team-kansai.sakura.ne.jp/scheduler/scheduler.cgi?mode=view&no=650
http://team-kansai.sakura.ne.jp/scheduler/scheduler.cgi?mode=view&no=654
日本の竹島が奪われ、従軍慰安婦の歴史捏造で英霊が侮辱され、これに対して「怒り」の声を挙げた愛国者の義挙を称えるのに、何の問題があるのか?
しかし、実際にはこのデモに不逞な輩が抗議に現れ、デモに併走しながら文句を言って来た。
これで、黙っていられる日本人って、何人いるの?
立派な日本人を誉めたら、朝鮮人が「立派な日本人を誉めるな」と抗議に来た。
これは、朝鮮人に舐められている証拠だ。
だから、日本人を舐めるな!
の行動をしなければならない。
私の考えている事って、何か間違っているのかな・・?
そして、そのデモの時に「妨害があれば、必ずやり返す。鶴橋に行く」と宣言していたので、私は「約束」を守る責務がある。
もう、これ以上でも、これ以下でもない。
尚、8月22日のデモにカウンターがあり、「では、鶴橋に行く」となった際に、「やめてくれ」との声が敵側からも(若干の)味方側からも届いた。
敵に対しては「一度、口に出した事は曲げられない」旨を説明したが、「やめてくれ」の熱意に、非常に稀な事であるのだが、私も信じられない譲歩を相手に示した。
「詫びがあったら、止める」と相手に伝えた。
ここで説明しておくが、俺は朝鮮人の言う事は一切信用しない。空気を吸って息を吐くように嘘をつくのが朝鮮人だからだ。
朝鮮人の「ごめんなさい」も信じないし、「もう、やりません」も信じない。
散々、「強制連行された」と言って来ておきながら、嘘がばれると「強制連行なんてデマを広めたのは日本のマスコミだ」(by 信恵)と言うのが朝鮮人だからだ。
彼らの口から出るのは、単なる「発声」であって「言葉」ではないのだ。
なので、「朝鮮人が謝ったら、許す」と言う事は、この川西大了にとっては、人生に一度、あるかないかの極めて珍事である。
そして、この譲歩に対して、カウンターに来た人間で、1人だけは謝罪があった事を報告しておく。
さて、この為に鶴橋での報復活動を予定し、道路を申請し告知した所、一度は道路使用許可の申請が「不受理」にされて、延期を余儀なくされた。
と、同時に凛七星なる人物から、ツイッター上で脅迫を受けた。
この脅迫に私は完全にびびってしまって、怖くて怖くて、鶴橋での活動が出来なくなってしまったのである。
とても、恐怖した為に頭は一気に白髪になってしまった。
この件で、警察に被害届を出し、この悪者を警察がとっちめてくれるのを待っていた。
でもって、この件で警察が動き、この凛七星の脅威がなくなったので、改めて、「約束」を実行する事になった。
3月まで仕事が忙しかったので、4月に入ってから、予定の入っていない週末に「さっさとやってしまおう」と思っていたのだが、今、関西は週末になると活動が満載で、なかなか、空いている週末が少ない状態であった。
その時に東京で「返さなければ戦争だ」の趣旨の拉致救出活動を知り、これを見て「そうだ!これだ!」と強く同意し、なんとしても、同じ趣旨で関西でも同時開催したいと考えた。
後の経緯は告知で書いた通りなので省略するが、関西では20日は凛風やまと・獅子の会さんがデモと街宣をするので、19日に「返さなければ戦争だ」で街宣をする運びになった。
ただ、自分の主催したデモに妨害があった事に対する報復として、「拉致救出」を使うわけにはいかない。
これは、「拉致救出」に対する私なりの真剣な気持ちである。
今回の拉致街宣は、去年の8月22日の報復とは完全に別にして、私の強い意思で「やる」と決めた事である。
そして、報復としての街宣は5月にする。これで「約束」を果たす。
なお、4月19日は別にして、5月18日については、「詫びがあったら、止める」の約束は現在でも有効である。
朝鮮語で約束の事を「ヤクッソク」と言う・・
そう、日本の「約束」って言葉が半島に入った時に、半島には「約束」に該当する言葉がなかったのである。
と、ゆーか、「約束する」と言う概念がなかったのである。
犬や、猫が「約束」をするだろうか???
私は、これまで、人間以外の生き物が「約束」するのを見た事も聞いた事もない
「約束」こそは、人類しか出来ない「神からの恵」と思っている。
だから、約束は守る。
どっかの民族みたいに「約束は破る為にある」と平然と言う訳にはいかないのである。
【投稿者】
川西大了
(最近、活動名を川西大了にしました)