2014年8月12日(火) の予定

川東の差別考察・・

ある人物にとって「アート」であっても、違う人間が「猥褻」と見る事があるだろう。

仮に「アートだ」と主張すれば、あらゆる裸体、性器、更には「性行為」すらアートであると認めてしまえば、「乱れた性を文化と呼ぶ」状態になってしまう。

かつて、東側(共産圏)が西側をそのように批判していた。
(もっとも、内情は東側も西側と大差ないのだがなw)


では、ある人物AとBが「性器」の写真を撮って「アートである」と発表した時に、Aだけ逮捕されて、Bは逮捕されないのでは、ここに「差別」の疑いが出てくる。

ただ、「アート」か「猥褻」かの判断基準の1つとして、「背景事情」は重要な要素となるだろう。

要するに、その「作品」がどのような評価を受けているか、どのように「利用」されているか・・・

アダルトビデオだって、製作会社が「アート」と主張出来なくもないかもしれないが、背景事情としては、そのビデオの購入者や視聴者の多くは「猥褻」として評価しているし、利用目的も概ね「猥褻」目的にある。

もっとも、最近では「児童ポルノ」の解釈が拡大されて行って、児童でなくても「児童を連想させるモノ」とか、「猥褻を連想させるモノ」とかになって行って、ドラえもんすら児童ポルノになりそうな勢いである。

極論として、(いるか分らんがw)「ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンでオナニーをした」人間がいれば、それをもって「児童ポルノ」の要素があるとは言えるだろう。


さて、私は「性器」が「アート」か「猥褻」かの問題とか、「ドラえもん」が児童ポルノなのか、どうかとかの問題は関心がない。


どちらかと言うと「それが差別なのか、どうか?」の方が専門である。(専門家と言う意味じゃないよ)


これを差別問題に当て嵌めてみたい・・・


要するに、ある発言をした人間Aと、その発言を聞いた人間Bの関係における「差別」になるのか、ならないのかの問題である。


黒人差別をする差別主義者Aが「ニガーは嫌いだ」と言ったとする。それを聞いたBも同様に黒人差別主義者で「俺もだよ」と答えたとする。そこに「問題」はあったとしても「トラブル」は生じない。Bが「黒人差別を許さない人間」だったら「それは差別だ」と猛烈に怒るかもしれない。ただ、その時にAが「何故、黒人が嫌いなのか?」の理由が重要な「背景事情」となる。

同じように、日本でAが「チョンコは嫌いだ」と言ったとする。それを聞いた朝鮮人のBが「差別だ」と怒ったとする。
その時にAが「だって竹島を泥棒してるからだ」と理由を説明したとしたら、それは「差別」になるのだろうか?

近年では、言った側が「差別」と思って無くても、聞いた側が「差別」と受け取ったら「差別」になる。
みたいな論調が見受けられるが、これがまかり通ったら、どのような発言であっても「差別」になってしまう(されてしまう)危険性がある。

嫌いなものを「好き」と言うのは、嘘をつく事であり、キリスト教でも仏教でも「悪い事」と諭されている。

私は朝鮮人が嫌いだから、「朝鮮人は嫌い」と言うが、これが差別だとしたら、私が「平等」をする為には「私は朝鮮人が好きだ」と言えば良いのだろうか?
そうすれば、「川東は平等になった」と評されるだろうか?
その時には川東は嘘つきになるだけだwww

「朝鮮人が嫌い」と言えば、差別主義者・レイシストになり
「朝鮮人が好き」と言えば、嘘つきになる・・・

好きなモノは「好き」、嫌いなモノは「嫌い」とハッキリと言う事は、決して悪い事じゃない。


白人が「ニガーは嫌い」と言う場合、全てではないだろうが、概ね、根底には「黒人差別」があると考えられる。
しかし、日本人が「朝鮮人は嫌い」と言う場合、全てではないだろうが、概ね「相当な理由」があると考えられる。
これが「背景事情」の重要性である。

この背景事情を(意図的に)隠して、「朝鮮人は嫌いだ」を「黒人は嫌いだ」と同じに語る人間がいるが、竹島・拉致・慰安婦問題・ナマポの不正受給・水曜デマ・来歴の強制連行などなどの「相当な理由」を無視して、黒人差別と朝鮮人嫌悪を同列に語れない。


さて、差別と言えば、朝日新聞が朝鮮人を差別して、「目の前から愛する家族が攫われても、命懸けで取り返す事も出来ない腰抜け民族」とヘイトスピーチを記事にした事件があったが、何故か、この「本物の差別」「本物のヘイト」に対して朝鮮人や在日が抗議していない。

この「差別」には文句を言わない理由・背景事情を考えてみよう・・・


ずばり「銭金」だ。


自分達が「差別」されても、「お金が貰える」差別だから、大喜びで「受け容れた」のだ。


差別が「良くない」と言うのなら、自分達に「不利益」なモノも「有益」なモノも、否定しないと筋が通らない。

被差別部落民の解放に立ち上がった穢多は、「天皇陛下の赤子として平等である。一君万民である。我々にも平民と同様に日本の為に戦って血を流す権利がある」と言って差別撤廃を訴えた。
そして、率先して国家の為に勇敢に戦ってみせた。

だから私は言うのだ、「部落差別に反対」と言うなら、税金の優遇という「差別」に対して、「俺達を差別するな、俺達にも税金を納める権利がある」と言えと

税金の優遇と言う「差別」は受け容れておいて、差別反対は筋がない。税金の優遇を受け容れたドエッタは「差別主義者」であるし、部落解放同盟こそが、被差別部落差別を守っているのである。


同じように、朝日新聞のヘイトスピーチを「自分達に都合の良いヘイトスピーチは大歓迎ニダ」と言っていた朝鮮人こそ、真の差別主義者である。


少なくとも、「行動する保守」と呼ばれた人達が、報道や国連から「人種差別」や「ヘイトスピーチ」などと評される状態であるが、「銭金」で「差別」を語った事などない。

従軍慰安婦の問題でも、「ご先祖様の名誉」の為に1円の利益もなく、「本物のヘイトスピーチ」と戦って来た。

在日の来歴が「強制連行だ」と言うヘイトスピーチにも、「ご先祖様の名誉」の為に1円の利潤も得る事無く、行動して来た。

むしろ、銭金で言えば、とんでもなく「負債」ばかりであるwww
(ま、本当は一部に銭金で保守をやっとる奴らもいるのだがw)

銭金が絡んで、都合の良い「差別」や「ヘイトスピーチ」を歓迎した連中が、「差別反対」と言う事に対して私は「整合性がない」と批判し、そして・・・

「次のファシズムは、ファシズム反対の声と共にやって来る」と揶揄した。


俺は当初から、「朝鮮人は目の前から家族が攫われたら、命懸けで戦う民族だ」と言って来た。
それに対して「俺達は腰抜け民族だ」と抗議して来たのは、しばき隊達である。

去年の8月22日、実際に起きた事である。


従軍慰安婦問題で、朝鮮人を腰抜け民族であると、未だに「ヘイトスピーチ」をしているのは、誰だ?

日本軍には、朝鮮地方出身の日本兵も沢山いたが、「強制連行されて性奴隷にされている同胞を見殺しにした」と朝鮮人のご先祖である死者(英霊)の名誉を毀損し、死者に鞭打っているのは、誰だ?


お金になると思ったら、「お前達の先祖は腰抜け」と言われても、「そうです」と受け容れる。でも、金にならない「生活保護の不正受給をするな」「拉致被害者を取り返そう」には「差別止めろ」「レイシスト帰れ」と言うのが、君達の対差別闘争か?


本当に差別に反対なら、自分達に有益な差別に反対してみろ!

「犯罪を犯した在日なら、他の外国人と同様に国外退去処分にしろ、在日だけ差別するな!」と言う勇気もない奴に、「差別反対」を言う資格なし。


【投稿者】
川西大了

【注意】
活動の告知ではありません。
ミクシーにて全体公開で書いた日記の転載です。

登録番号
No.751
日時
8月12日(火)
-->
Web Scheduler