9.11同時多発テロの時、アメリカではそれこそマフィアでも、「アメリカの為に戦う」と当たり前のように言っていた。
昔、荒巻さんが「国の為に、民族派の右翼は勿論、ヤクザだって、国のためなら一緒に手を結んで戦わなアカン」と言っていた。
勿論、組織論と言うものがあるので、何でもかんでも、(本来、相容れないモノまで)一緒にすると、返って混乱を招き、敵と戦う前に内部崩壊を起こす事もあるので、私は無条件にどんなモノでも一緒にやろうとは思わない。
しかし、「どんなモノ」でも、国の為に戦う事は「素晴らしい」と認める。
元ヤクザ・・
昔、これが駄目だと言った連中もいたが、「過去をほじくり返したら、誰にだって人に知られたくない過去の1つや2つはある。過ちを反省してやり直した人間なら私は受け容れる」と言った会長の言葉を私は支持する。
私は自論として、「正義」が勝つとは思っていない。
勿論、「従軍慰安婦なんて捏造だ」「竹島は日本の領土だ」「拉致被害者を返せ」「入管特例法を廃止して、在日を日本から叩き出せ」のどの主張も「正義」である。
しかし、「力」がなければ、その正義の主張も、居酒屋の酔っ払いの戯言と同じである。
「正義が勝つ」のではなく、「勝った方が正義」なのである。
日本が兎に角、嫌いで日本を壊したい。支那中共が侵略して来て、日本を支那の自治区にして、ウイグルや東トルキスタンのように支那人に日本人が民族浄化されるようになって欲しいと心の底から願っている人間がいる。
その人間の考え方を私は絶対に認めないが、その人間にとっては、それが「正義」なのである。
その反日極左と戦っているが、この戦いに負けたら、彼らが「正義」になる。
もう1つ、私には自論がある。
敵が卑怯なら、それ以上に卑怯な手を使って勝つ、である。
しばしば、「チョンコが日の丸を燃やしても、日本人は太極旗を燃やしたら駄目」と言う批判を受ける。
「チョンコと同じレベルになるな」と・・・
勿論、人間としての「品性」でチョンコと同じレベルになりたいとは思わない。
しかし、「日本人の美徳」は大事だが、その「日本人の美徳」を大事にして、肝心な戦いに負けたら、反日極左が「正義」になる。
「南京で30万人の市民を虐殺し、朝鮮半島で20万人の婦女子を強制連行し性奴隷にした不浄な民族がホロ・コーストされる」事が正義になる。
これを阻止する為に立ち上がった人達がいる。
街中で「ドグソエッタ」と叫んだ人もいる。「スパイの子やないか」と叫んだ人もいる。
「朝鮮人なんか、人間じゃない」と叫んだ人も・・・
いつしか、そう言った人達は、必要じゃなくなった時に「使い捨て」されるべき存在かもしれない。
七人の侍じゃないが、戦いが終って、必要が無くなったら、「お前ら出て行け」と追い出される・・・
それでも構わないと納得して戦っている人達がいる。
その者達は、一見すれば「綺麗な人」に見えないかもしれない。
世間から蔑まれる存在かもしれない。
しかし、国を愛して国の為に戦うなら、誰であっても構わない。
職業に貴賎は無いと言う言葉ではないが、「護国に貴賎は無い」である。
その者の「過去」を持ち出して、「〇〇のような過去があるお前が差別と戦う資格はない」は、私の辞書にはない。
ただし、「裏切り者」は除く・・・
【投稿者】
川西大了
【注意】
過ちて改めざる、それを過ちとは言うなり