2014年12月18日(木) の予定

徳島県教組事件・・・正義は勝ったのか・・??

中曽千鶴子氏が徳島県教組へ対する威力業務妨害・建造物侵入に問われた刑事裁判で、最高裁は上告を棄却し、罰金30万円が確定した。

中曽氏は敬虔なクリスチャンであり、絶対に嘘をつかないと公言している。

さて、中曽氏はブログやミクシー、ツィッター等において、この事件について幾つかの発言をしていたと思う・・・

1.当時の警察官の動きや発言等を詳細に覚えており、それを証言すれば全員無罪だった。
(それが出来なかったのは、中曽氏に対して特に強い接見禁止がついていた為)←これも中曽氏の発言

2.裁判の執行を監督する人から「一切の不法行為はなかった」と言われた

3.正義は勝つのであ~る


私が勝手に中曽氏の代弁は出来ないので、いずれ中曽氏より、説明があるのだろうと思われるが、私なりの考察をしておきたい。


まず、1審の裁判には私は2度、傍聴に行った。中曽氏が陳述する際は諸般の事情で私は退席していたが、その時の内容も聞いている。

「1」については、どうも、法廷で「当時の警察官の動きや発言」を証言していないのである。

つまり、「証言すれば無罪になる」はずの肝心の「証言」をしていないのだ。

確かに、無罪の人間が「自分は無罪だ」と主張しなければならない決まりはない。もっと言えば、自分が有罪になりそうな時に、アリバイがあっても、そのアリバイを主張しないで、敢えて有罪を受けると言う事も、本人が望むなら可能なのかもしれない。

もっとも、本人は敬虔なクリスチャンなので、やってない事を「私はやりました」と嘘はつかないだろう。
実際に法廷でも「無罪」を主張していた。

「無罪」を主張しながら、「当時の警察官の言動」を証言したら無罪となったのに、敢えてその証言をせずに「有罪」を受け容れたのは、中曽氏にだけしか分からない崇高な判断によるものであろう。

凡人の・・・、いや、凡人以下の私如きに分かるはずもない・・・


ただ、勘違いしてはいけないのは、判決は「有罪」が確定したが、中曽氏は「無罪を証明できる証言」をまだ隠し持っていると言う事だ。

それを出せば、いつでも、この判決は「誤審」「冤罪」である事が証明出来るのだ。

と、中曽氏の言う事からは導き出せる。


さて「2」については、そもそも、一体誰だ?一体、その立場の人間って、どう言う職業、役職の人間なのだ?が一切不明である。

最高裁判官だって、裁判の執行を監督する立場の人とは言い難い、該当するとすれば法務大臣かもしれないが・・・

三権分立なので、司法に対して行政や立法が「監督」する事は出来ない。

しかし、敬虔なクリスチャンの中曽氏が言っているのだから、「嘘」は絶対にない、それは定説だ。


考えられるのは、「ヨゴレ」がいて、その「ヨゴレ」が「俺は裁判の執行を監督する人間だ」と名乗り、その上で「徳島県教組の動画を見たけど、不法行為は一切、なかったよ」と中曽氏に話したのではないか!?

それだと、中曽氏は「嘘を言っていない」事になる。勿論、「嘘」ではなくても、「その内容は正確ではない」事になるが・・

なんにせよ、準公人の立場の中曽氏は、自身の発言について「説明責任」があると私は考える。

「一切の不法行為はなかった」と言った「裁判の執行を監督する人間」が誰なのか、そして、何故、一切の不法行為が無かったのに、様々な違法行為が認定されてしまったのか?

こう言った世間の「知る権利」に答える必要があると考える。

北朝鮮による拉致事件でも、中曽氏は全面解決を訴えている。

他国の犯罪の全面解決を求める前に、自分の犯罪の全面解決をしないで、自分の犯罪については、キチンとした説明をせずに逃げて、他国の犯罪について厳しい糾弾を声を挙げるのでは、いくら立派な主張をしても、「自分を装飾する為のツール」として「拉致問題」を扱っているのではないか・・・、と、下衆な勘ぐりを受けても仕方ないだろう。

だからこそ、アカウンタビリィティって言うのかな?

結果に対して謝罪・補償する責任じゃなく、「どういう事だったのか」について説明する責任を果たして欲しい。


さて、「3」の正義が勝つのかどうかであるが・・・

そもそも、私は「正義」と言う言葉があまり好きじゃない。日頃、「私達は正義だ」とかあまり言わない。
「君達の正義は何処にある?」とか言う事はたまにあるが、それは「正義」を口にする人間に対してだからだ。

私の自論は、「正義」なんて力が無かったら「意味」がないである。

どれだけ正しい事を言っても、やっても、負けたら意味がない。

よく言われる「勝てば官軍」である。「歴史は勝者が作る」という言葉もある。


支那の人民解放軍が日本を「解放」したら、支那は「正義」となる。

歴史が流れ、いつしか支那が衰退したら、その時、歴史の評価は変る。

それだけの事だ・・・


アジアを解放し、自国の自存を守った先の戦争も、歴史の中で「正義」と「侵略」を繰り返すだろう・・・


今は最高裁で上告が棄却されて「有罪」となり、世間的に見れば「正義は勝つ」とは言えないのかもしれないが、過去の正しい事を言って処刑された人間はごまんといる。

ジーザス・クライストだって、ユダヤの教会で「父の場所を汚すな」と言った事で、「父の場所と言う事は、お前は神の子だと言うのか」と言う事になり、そこで奴は「そうだ」と答えた為に、神を冒涜した罪で処刑されている。

この処刑が、誤審・冤罪だったのか、神の名を騙る馬鹿者を処刑しただけなのか、これも、歴史や宗教などによって、これから先も変換を続けていくだろう。

クリスチャンでない私にとって、どうでも良い事だが。


話が長くなってしまったが、つまり、中曽氏の行動が「正義」と認められる時代が来るかもしれない以上、必ずしも「3」が間違いだとも言えない・・・のかもしれない。


敢えて言うが、私は「正義」は大事だし、「正義」の為に行動している。しかし、それは私達が「勝って」初めて、それが「正義」になるものである。
私達が負ければ、日本が嫌いで仕方なく、日本は支那の侵略を受けて倭自治区となって、東トルキスタンやチベット、ウイグル、南モンゴルのように民族浄化されたらいいのだと思っている連中が「正義」になる。


いつものように無駄に長い駄文を作ってしまった。


【投稿者】
D.K

登録番号
No.840
日時
12月18日(木)
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