2015年2月9日(月) の予定

新戦争論1(小林よしのり著)を読んだ

まず、イラク戦争や中東へのアメリカの参戦、軍事侵攻については、概ね賛同である。
アメリカの属国の立場から、政治的判断「アメリカに媚びを売るべき」「支那の脅威からアメリカに守って貰わないといけない」と言う極めて不正義な理由によるアメリカ(側)への加担であった。

勘違いしている人も多いかもしれないが、私は朝鮮人は大嫌いだから日頃、朝鮮人ばかりを扱うが、アメリカも大嫌いである。
そして、アメリカの奴隷である自民党こそが売国政党・国賊政党だと言って来た。

大阪のアメリカ領事館に出した抗議文を見れば分かり易いだろう。
http://team-kansai.sakura.ne.jp/scheduler/scheduler.cgi?mode=view&no=702

日本は満州を奪われ、台湾・朝鮮(これはいらんけどw)を奪われ、北方領土を奪われ、竹島を奪われ、同胞を拉致された国である。
イスラムの人達は、聖地であるパレスチナを奪われた民である。
そして、その敵も共通したアメリカ・ユダヤである。
本来であれば、軍事同盟とはいかないまでも、イスラム側と共にアメリカ・ユダヤと戦うべきだと考えてさえいる。
ただし、究極的にはイスラム教の価値観と日本の価値観は違うので、程よい距離を保たないといけない。
おそらく程よい距離での友好は簡単であるが、移民政策として共生は難しいであろう。


安倍首相の靖国神社参拝の際の「不戦の誓い」を批判する見解は、私と全く同じである。


その後、いわゆる「親米派保守」(つまり自民党信者の事?)への批判が続く。
小林氏の言いたい事は分かる部分もあるし、私も反自民であるし、自民信者こそ「愛国者のつもりの売国奴」とも思っているので、「そうだ」と言いたい気持ちになるが・・・
反日左翼達と「同じもの」だとする分析は間違いであると思う。

自民信者(親米派)は、戦後レジームの脱却は望んでいるし、歴史観も正しく持っているだろう。単に「理想」と「現実」の間で、妥協をするのが「政治」だと考えているだけだろう。

例えば、事実無根の歴史問題で100億円の慰謝料を請求された時に、「1円も払わない」と争えば負ける可能性が高い時に、「30億円が妥当だ」と値切り交渉をするのが「政治」とも言える。
理想を唱えて、100億取られてしまうなら、悔しいが実利を取って30億で済ました方が70億得だとする考え方だ。

左翼は、キチガイであり、理屈や理論ではなく「兎に角、私は日本が嫌いで、日本さえ潰れたらそれで良いのだ」「憲法9条を叫んで軍隊を持てなくし、支那の人民解放軍が攻めて来て日本人が民族浄化されたら、それで満足だ」と真剣に願っているだけだ。

自民党信者は、国賊政党を「保守政党」と勘違いしたまま支持し、日本を亡国に導くから批判はするが、彼らには彼らなりの「愛国心」からの行動原理がある。
しかし、左翼にはそれがない。あれだけ反米、反日米安保でありながら、アメリカの原爆を「原爆で日本を懲らしめた」と賞賛し、「マッカーサー様、民主主義をありがとう」と言い、原爆の帳消しの為の「南京大虐殺」を有り難く大事にしている。
そこには愛国もなければ、整合性も何もない。

小林氏の「親米保守も左翼も同じ論」は、物事のわずかな表面部分だけでの評価でしかなく、説得力も乏しく、的確な分析とも言えない。


ブラジルの「勝ち組」の話や、支那での日本兵の残虐行為(戦争犯罪)の紹介については、戦争論で「美しい」部分を取り上げて書いた為に一部の読者が「日本にやましい部分などない」と勘違いしたので、「残念な部分もある。目を逸らしてはいけない」と正反対の視点を紹介したようだ。

勿論、あれだけの規模の戦争をすれば、軍規正しく統制が取れている戦地もあれば、乱れた戦地や部隊、或いは個人兵士がいるのはおかしい事ではないだろう。
もっとも、支那での残虐行為(特に民間人へのもの)の証言については、正直、信憑性が低いと思われる。
軍規違反行為が堂々と行われる程、日本軍の軍規が乱れていたとしたら、何故、その時(場所)だけ局地的に軍規が乱れたのか?
少なくとも、日本軍の軍規の厳しさから推察すれば、1人や2人の規模で上官の目を盗んで軍規違反をする奴がいる程度だろう。

ただ、本当に局地的、限定的と言う事になれば、日本軍にも残虐な犯罪行為が起きていても不思議ではないだろう。

ブラジルの「勝ち組」の話については知らなかったが、読んだ感想としては「そんな事があったんだ」程度である。
情報が入らない空間で、人間の集団心理の働きとして「こう言う事になる場合もある」と言う一つのケースであろう。
この話から得る教訓はある、特に日本人は。
「出る杭は打たれる」的な民族のDNAだろうか、自分の意見を遠慮して和を重んじる「美徳(?)」の為だろうか・・・


最後に、いわゆる「行動する保守」の嫌韓主張について、そして、いわゆる「ヘイトスピーチ」について批判が展開されていた。
小林氏個人の主義主張、思想を書いた本なので、「貴方がそう思うなら、それでいいですよ」以上でも以下でもないが、この分析・見解については、上ヅラだけを摘んでそれで全てを味わったかのように評論している。

小林氏らしからぬ・・・と言うのが一番、しっくり来る感想になるだろうか。

そもそも、韓国は嫌われて当然なのか、それとも、社会から落語した人間が「自分を少しでも上げたい」として見当違いに韓国を罵っているのか?

ここの辺りの分析がすっ飛ばされて、一方的に「韓国を批判する奴は、自分より下を作ってそれを罵って自己満足したい奴」と決め付けているようだ。

しかし、韓国が世界から嫌われているのは事実であるし、嫌われるだけの理由も充分にある。
むしろ、嫌われない事がおかしいレベルである。

ヘイトスピーチうんぬんかんぬんについても、色々な評価・分析はあると思うが、方法論で検証すれば、合理的な理由も付ける事が可能だ。
例えば「マスコミに無視されるから、無視出来ないようにしたい」と言う起点だ。

左翼のデモは10人のデモでも記事にされ、報道される。しかし、保守系のデモが街宣はマスコミに全く取り上げて貰えない状況があった。
いわゆる報道権による「報道しない権利」の行使である。

本来であれば、メディアは政治的に中立で、対立する意見があれば両方の意見を取り上げて公正を図り、視聴者の判断に対して誘導的な姿勢・報道であってはならない。事になっているが、実際は小林氏も朝日新聞の報道姿勢で良く知ってるはずだ。

その中で、わざと汚い言葉や乱暴な言葉を使う事で「報道せざるを得ない」状況を作る為の方法として「ヘイトスピーチ」が登場したと言う分析だ。

この視点だけ述べても、小林氏は分析作業を怠りすぎだと指摘出来る。


実際に、仲間内からも「汚い言葉はやめよう」なんて意見や批判は、当初からバンバンあった。今でもある。
少なからずの批判や反対意見を承知の上で、結果的にいわゆる「ヘイトスピーチ」は用いられたし、少なからずの人間は、それを理由に違う場に移って行った。
誰も彼もが、単なるブームや自己満足の為に汚い言葉を叫んで、愛国な行動をしたと勘違いして満足していると言うのは、少なくとも私が見て来た事実とは異なる。

そもそも、その中心にいたとされる私が、在特会の支部長や副会長をやりながら、色々な問題やら人間関係やらで神経を消耗し、「もう、いやだ。止めてしまいたい」と心情を吐露している。
弱い者苛めをして喜ぶような小さい人間であれば、逮捕されて執行猶予が付いて、それでも行動を続ける事もないであろう。

良くも悪くも、日本人に「生活を義性にしてでも、俺は差別をする」「投獄されようとも、差別を止めない」なんて言う本物の差別者なんていないだろう。
そして、それ程の差別主義者であれば、堂々と「俺は差別主義者だ。差別する自由・権利があり、行使する。」と言うだろう。
世界の差別主義者は、自分が差別主義者である事に誇りを持っている。


【投稿者】
川西大了

登録番号
No.875
日時
2月9日(月)
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